FC2ブログ

トヨタ自動車・豊田章男社長の公聴会証言への不満

 トヨタ自動車豊田章男社長は2010年2月24日、米国下院監督・政府改革委員会の公聴会に出席し、大量リコール問題について証言した。豊田社長は「顧客視点で品質問題を考えるという視点が足りなかった」と率直に認め、急加速による事故や事故後の対応の悪さを謝罪した。しかし、品質低下の原因や対応遅れについての具体的な説明に乏しく、議員の質問に「分からない」「把握していない」と回答するなど、信頼回復には程遠い内容であった。
 不祥事企業は同じ過ちを何度も繰り返す傾向にある。これは豊田社長の対応にも該当する。本記事では2点指摘する。

 第1に謝罪の誠意である。豊田社長は日本での謝罪会見で、お辞儀の角度から誠意が込められていないとニューヨーク・ポストから酷評された。公聴会での豊田社長の謝罪も死者へのremorse(自責の念、良心の呵責)が感じられないとマーシー・キャプター議員から批判された。謝罪が形式的であるとの批判が繰り返されたことになる。

 「remorse」が欠けている豊田社長の謝罪は、ルース・ベネディクトが『菊と刀』で分析した「恥の文化」の特徴を示している。豊田社長の謝罪は原因や問題点を示した上でのものではないため、どうしても「世間を騒がせて申し訳ない」的なものに聞こえてしまう。

 「全てのトヨタの車に自分の名前が入っているから、安全性への思いは一番強い」との理屈も他人の目を気にする「恥の文化」の発想である。品質管理体制の確立など前向きな所信表明の繰り返しも、これまでの問題から目を背けて、他人の評価を期待する姿勢に映る。

 これらは「罪の文化」を行動様式とする米国人から見れば、本当の意味で反省しているのか疑わしく思われることになる。その意味で「remorse」が欠けているとの豊田社長批判は正鵠を射ている。「恥の文化」と「罪の文化」の優劣とは別の問題として、米国で証言する以上、米国社会を研究すべきであった。「恥の文化」で通用すると考えていたならば無知か驕りのどちらかである。

 第2に新たな情報の提示である。これまでと同じ所信表明の繰り返しならば、話を聞く意味もない。日本での3回の記者会見のうち、唯一及第点に達したものはプリウスリコールを発表した2月9日の会見であった(「トヨタ自動車豊田章男社長会見に改めて失望」-JanJanニュース)。これによってブレーキの不具合は、運転者の感覚の問題から欠陥として修理することに転換した。運転者に責任転嫁するトヨタの説明は強く批判されたが、リコールによって解決の道筋をつけることができた。これは会見する意味のある内容であった。

 これに対して、公聴会の主要論点である電子制御スロットル・システム(ETCS)の問題は依然として疑惑が残った。トヨタ車にはフロアマットアクセルペダルでは原因が説明できない多数の急加速事故が起きており、電子制御スロットルが疑われている。公聴会で豊田社長は「設計上の問題はないと確信している」と従前の主張の繰り返しにとどめ、消費者の不安解消にはならなかった。電子制御スロットルの問題は今後も指摘され続けると予想される。
スポンサーサイト



テーマ : 東急リバブル東急不動産不買運動
ジャンル : 政治・経済

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

東急リバブル東急不動産不買運動

Author:東急リバブル東急不動産不買運動
東急不動産東急リバブル不買運動
だまし売り 不正 HAYARIKI 欠陥
ブログ Blog BLOG 被害 宣言 偽装 

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
RSSフィード
リンク