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立正佼成会附属佼成病院過労自殺裁判

立正佼成会附属佼成病院(東京都中野区)の小児科医だった中原利郎さん(当時44)は過労によるうつ病で自殺した。中原さんは1987年から同病院に勤務。99年3月から6月頃に精神的に不安定となり、うつ病を発症し、同年8月に同病院の屋上から飛び降り自殺した。1996年4月に小児科の当直勤務が始まると、昼夜分かたぬ過酷な勤務に追い詰められていった。
1999年初めに小児科部長が定年退職し、99年2月に小児科部長代行に就任後、2人が退職し、小児科の常勤医は3人に減った。過重な労働に拍車が掛かり、出勤が月29日に達することもあった。1カ月の休みはわずか2日だった。当直回数も激増し、3月の当直勤務は8回であった。連続32時間の勤務もあった。
「このままでは病院に殺される」と家族に訴えたこともある。少子化が進む中、部長代行として小児科の採算性に気をもみ、部下の分まで当直を引き受けていた。自殺当時、病院の机には「少子化と経営効率のはざまで」と題し、小児科医不足の現状や過重労働について書いた遺書のような文書が残されていた。
佼成病院過労自殺訴訟は労災認定と損害賠償の二つがある。労災認定裁判は妻のり子さんが労災と認めなかった新宿労働基準監督署の処分取り消しを求めた訴訟である。のり子さんは2001年9月、労災保険法に基づく遺族補償支給を請求したが、新宿労基署は03年3月に「うつ病と業務に因果関係はない。性格や生活習慣病などが原因で発病した」として労災と認めず不支給とした。東京地裁(佐村浩之裁判長)は2007年3月14日、自殺を労災と認め処分を取り消した。
判決は「宿直が多く睡眠不足だった上、全国的に小児科医が不足している状況下で医師2人が退職を表明。医師補充がうまくいかず、人間関係も悪化した。管理職として心理的負荷がかかり、遅くとも自殺の約2カ月前にはうつ病になっていた。自殺と業務には因果関係がある」と判断した。当直では疲労を回復できず、ストレスの要因になっていたとした。
判決後、のり子さんは「誇りをもって仕事に取り組んでいた夫が心身のバランスを失う一部始終を見ていた。労災認定は当然で、この結果が医療の環境改善の第一歩になってほしい」と述べた(「「過労や医師不足でうつ」 東京地裁、処分取り消す」共同通信2007年3月14日)。記者会見では「司法の良心に出会うことができた。国は医師を使い捨てにするような労働環境を改善してほしい」と涙ながらに訴えた(「「司法の良心に出会えた」 勝訴の妻、涙で改善訴え」共同通信2014年3月14日)。「判決は、医療現場の勤務体系見直しを迫る内容といえる」と評されている(「過酷な勤務 司法が警鐘」朝日新聞2014年3月15日)。
損害賠償請求訴訟は遺族が病院側に損害賠償を求めた訴訟である。一審・東京地裁平成19年3月29日判決は過重な業務とうつ病発症との間の相当因果関係を否定した。これに対して控訴審・東京高裁平成20年10月22日判決(鈴木健太裁判長)は因果関係を肯定したが、「病院側が(中原さんの心身の変調を)具体的に予見することはできなかった」として、原告側の訴えを棄却した。
遺族は最高裁に上告し、最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)で2010年7月8日に和解が成立した。病院側が遺族に700万円の和解金を支払う。最高裁は和解条項の冒頭で「裁判所は、より良い医療を実現する観点から和解を勧告した」と説明。医師不足を生じさせないことが国民の健康を守るために不可欠であることを、遺族側と病院側双方が確認することなどが盛り込まれた。
妻ののり子さんは「より良い医療の実現のための和解が、医療崩壊の阻止につながると信じる」と和解に応じた理由を話した。自身も小児科医の長女、千葉智子さんは「医師が現実に絶望して医療界を退くような社会は変わってほしい」と訴えた(「小児科医の過労自殺、最高裁で和解が成立」日本経済新聞2010年7月8日)。

この問題は2016年8月12日放送の日本海賊TV「金八アゴラ」でも取り上げた。コメンテーターは田淵隆明氏、石川公彌子氏、山内和彦元川崎市議、林田力。司会は須澤秀人・日本海賊党代表。
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